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映画「罪と罰」冒頭でマルメラドフが語る [心に響く映画のことば]
映画「罪と罰」(1970年、ソビエト連邦)の冒頭、9等文官のマルメラードフがラスコリニコフに話しかけるペテルスブルグの酒場のシーンで。
私を哀れむかね
言ってくれ
哀れむかね
なぜ哀れむ?
そう 哀れむことはない
その価値もないんだ
私なんかはりつけにしろ
(ここまでは、酒場の主人に話しかけているマルメラドフだが、ラスコリニコフはじめ、居合わせた客のみんなに聞かせるように語りはじめる)
私がウォッカに何を求めていると思う?
悲しみだ
瓶の底に悲しみを求め
それを味わっている
だが神様は哀れんでくださる
こうおっしゃる
「性悪な肺病やみのまま母や
腹違いの子のために
自分の体を売りながら
飲んだくれの父親をも哀れに思う娘はどこだ。」
そして言う。
「おいで。
前にも一度罪を許した。今度も許される。
神は万人を許す。善人も悪人も 誰もかれもだ。
飲んだくれも おいで
いくじなしも おいで
皆 おいで
お前たちは人間のくずだ
獣にも劣るような情けない人間だが
皆 ここに来るがよい」
(日本語字幕:富田耕平)
私を哀れむかね
言ってくれ
哀れむかね
なぜ哀れむ?
そう 哀れむことはない
その価値もないんだ
私なんかはりつけにしろ
(ここまでは、酒場の主人に話しかけているマルメラドフだが、ラスコリニコフはじめ、居合わせた客のみんなに聞かせるように語りはじめる)
私がウォッカに何を求めていると思う?
悲しみだ
瓶の底に悲しみを求め
それを味わっている
だが神様は哀れんでくださる
こうおっしゃる
「性悪な肺病やみのまま母や
腹違いの子のために
自分の体を売りながら
飲んだくれの父親をも哀れに思う娘はどこだ。」
そして言う。
「おいで。
前にも一度罪を許した。今度も許される。
神は万人を許す。善人も悪人も 誰もかれもだ。
飲んだくれも おいで
いくじなしも おいで
皆 おいで
お前たちは人間のくずだ
獣にも劣るような情けない人間だが
皆 ここに来るがよい」
(日本語字幕:富田耕平)
柳の歌/哀切感増すウィロー♪ウィロー♪ [魅惑する歌声]
1995年に製作された
アメリカ映画「オセロ」(オリヴァー・パーカー監督)の中で、
デスデモーナが歌う「柳の歌」は、
原作オペラであるヴェルディのアリアを、
英語で映画流に作り変えています。
このオペラの原作である
シェイクスピアの戯曲は
「柳の歌」をどのように扱っているのでしょうか。
英語だと
ウィロー♪ ウィロー♪……という語感が
女性の悲しみと響きあい
哀切感が極まるようですね。
映画では、
デスデモーナにより
次のように
歌われていました。
♪
哀れな娘は
ため息ついて
カエデの木陰に一人
歌を口ずさむ
胸に手を当て
頭をひざに乗せ
悲しい柳の歌を
柳よ
あふれる熱い涙に
石さえ溶けていく
柳よ
柳の歌よ
(日本語字幕:鎌田郁子)
アメリカ映画「オセロ」(オリヴァー・パーカー監督)の中で、
デスデモーナが歌う「柳の歌」は、
原作オペラであるヴェルディのアリアを、
英語で映画流に作り変えています。
このオペラの原作である
シェイクスピアの戯曲は
「柳の歌」をどのように扱っているのでしょうか。
英語だと
ウィロー♪ ウィロー♪……という語感が
女性の悲しみと響きあい
哀切感が極まるようですね。
映画では、
デスデモーナにより
次のように
歌われていました。
♪
哀れな娘は
ため息ついて
カエデの木陰に一人
歌を口ずさむ
胸に手を当て
頭をひざに乗せ
悲しい柳の歌を
柳よ
あふれる熱い涙に
石さえ溶けていく
柳よ
柳の歌よ
(日本語字幕:鎌田郁子)
フジコ・ヘミングが語った [アート語録]
1999年に放送された、ピアニスト、フジコ・ヘミングの半生を辿った番組「フジコ~あるピアニストの軌跡」が、「ETV50 もう一度見たい教育テレビ」として再放送されました(10月27日)。
初回放送から10年を経過していますが、内容に古びるものはなく、2009年現在のフジコ・ヘミングが、ピアノ表現において新たな境地を開拓しているものであっても、心して耳を傾けざるを得ない言葉の数々は、鮮烈さを失っていません。
わたしが、世界で一番うまいなんて思っているんじゃなくて、わたしは自分のカンパネラが一番気に入っていて、他の人の弾き方は嫌いなのよ
華麗をもっとも技巧……、技巧を凝らして作った華麗――。
(フジコは、言葉を探している感じ)
そう、ひとつひとつに魂が入っていそうな、さあ。
ぶっこわれそうなカンパネラだっていいじゃない。わたしは、ぶっこわれそうで、繊細なピアニスト、芸術家のほうが好きだもの。
あんまり完全で、機械みたいなのは嫌い。
(「じゃあ、いまのがまさにフジコ・ヘミング?」とインタビュアーが念を押す感じで聞くが、フジコは先を続けて語る。)
それがいいわよ。少しは間違ってもかまやしない。
機械じゃあるまいしさ――。
*2009年10月27日、NHK教育テレビ、午後8時から放送。
初回放送から10年を経過していますが、内容に古びるものはなく、2009年現在のフジコ・ヘミングが、ピアノ表現において新たな境地を開拓しているものであっても、心して耳を傾けざるを得ない言葉の数々は、鮮烈さを失っていません。
わたしが、世界で一番うまいなんて思っているんじゃなくて、わたしは自分のカンパネラが一番気に入っていて、他の人の弾き方は嫌いなのよ
華麗をもっとも技巧……、技巧を凝らして作った華麗――。
(フジコは、言葉を探している感じ)
そう、ひとつひとつに魂が入っていそうな、さあ。
ぶっこわれそうなカンパネラだっていいじゃない。わたしは、ぶっこわれそうで、繊細なピアニスト、芸術家のほうが好きだもの。
あんまり完全で、機械みたいなのは嫌い。
(「じゃあ、いまのがまさにフジコ・ヘミング?」とインタビュアーが念を押す感じで聞くが、フジコは先を続けて語る。)
それがいいわよ。少しは間違ってもかまやしない。
機械じゃあるまいしさ――。
*2009年10月27日、NHK教育テレビ、午後8時から放送。
音楽家・加藤和彦が残したことば<2> [記憶に残ることば]
音楽家・加藤和彦が残したことば<1> [記憶に残ることば]
「ルートヴィヒ」の言葉<2> [心に響く映画のことば]
(グッデル神父に付き添われて雨の中を散歩するルートヴィヒ)
夜ほど魅惑的なものはない
夜や月をあがめるのは
母性的な信仰で
太陽や昼の崇拝は
男性的な神話らしい
夜のとばりは無限の神秘だ
私にとっては
英雄たちの気高い国
すなはち
理性の王国だ
気の毒だな
朝から晩まで私の観察とは
だが私はなぞだ
なぞであり続けたい
永遠に
他人にも
自分自身にも
(帰館の時刻を過ぎても帰らぬルートヴィヒとグッデン博士の捜索がはじまり、しばらく闇の中を松明たいまつの灯りが行き交うが、「王はグッデン博士を殺し自殺なさった」とデュルクハイム大佐の報告があって、映画は終了する。雨に打たれるルートヴィヒの顔がアップになり、エンディング・ロールがかぶさってゆく。)
(ルキノ・ヴィスコンティ監督「ルートヴィヒ」より)
日本語字幕:三井章子
夜ほど魅惑的なものはない
夜や月をあがめるのは
母性的な信仰で
太陽や昼の崇拝は
男性的な神話らしい
夜のとばりは無限の神秘だ
私にとっては
英雄たちの気高い国
すなはち
理性の王国だ
気の毒だな
朝から晩まで私の観察とは
だが私はなぞだ
なぞであり続けたい
永遠に
他人にも
自分自身にも
(帰館の時刻を過ぎても帰らぬルートヴィヒとグッデン博士の捜索がはじまり、しばらく闇の中を松明たいまつの灯りが行き交うが、「王はグッデン博士を殺し自殺なさった」とデュルクハイム大佐の報告があって、映画は終了する。雨に打たれるルートヴィヒの顔がアップになり、エンディング・ロールがかぶさってゆく。)
(ルキノ・ヴィスコンティ監督「ルートヴィヒ」より)
日本語字幕:三井章子
「ルートヴィヒ」の言葉<1> [心に響く映画のことば]
グレン・グールドは語った<2> [アート語録]
演奏旅行はどう?
インタビュアーは続けて問い、
27歳のグレン・グールドは
続けて次のように答える。
ここに10日か2週間くらい
ゆっくりと滞在できるときは
地元の人たちとよく付き合う
彼らの仕事は――
どれも似たような
変わりばえのしないものだが
2週間先でも自分がどこにいて
何をしているかわかっている
とてもうらやましく思うよ
実際そんなときは――
次の週に演奏旅行に出るのが
いやでたまらなくなる
いよいよ出発する時は
子ども時代と同じ気分だ
連休の翌日に登校する
朝のような最悪の気持ち
罠にかかったような――
取り返しのつかない別の世界に
連行されるような感覚
うんざりするよ
(「グレン・グールド27歳の記憶」より)
日本語字幕・鈴木玲子
インタビュアーは続けて問い、
27歳のグレン・グールドは
続けて次のように答える。
ここに10日か2週間くらい
ゆっくりと滞在できるときは
地元の人たちとよく付き合う
彼らの仕事は――
どれも似たような
変わりばえのしないものだが
2週間先でも自分がどこにいて
何をしているかわかっている
とてもうらやましく思うよ
実際そんなときは――
次の週に演奏旅行に出るのが
いやでたまらなくなる
いよいよ出発する時は
子ども時代と同じ気分だ
連休の翌日に登校する
朝のような最悪の気持ち
罠にかかったような――
取り返しのつかない別の世界に
連行されるような感覚
うんざりするよ
(「グレン・グールド27歳の記憶」より)
日本語字幕・鈴木玲子
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