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映画「罪と罰」冒頭でマルメラドフが語る [心に響く映画のことば]

映画「罪と罰」(1970年、ソビエト連邦)の冒頭、9等文官のマルメラードフがラスコリニコフに話しかけるペテルスブルグの酒場のシーンで。

私を哀れむかね
言ってくれ
哀れむかね

なぜ哀れむ?

そう 哀れむことはない
その価値もないんだ
私なんかはりつけにしろ

(ここまでは、酒場の主人に話しかけているマルメラドフだが、ラスコリニコフはじめ、居合わせた客のみんなに聞かせるように語りはじめる)

私がウォッカに何を求めていると思う?
悲しみだ
瓶の底に悲しみを求め
それを味わっている

だが神様は哀れんでくださる
こうおっしゃる
「性悪な肺病やみのまま母や
腹違いの子のために
自分の体を売りながら
飲んだくれの父親をも哀れに思う娘はどこだ。」
そして言う。
「おいで。
前にも一度罪を許した。今度も許される。
神は万人を許す。善人も悪人も 誰もかれもだ。
飲んだくれも おいで
いくじなしも おいで
皆 おいで
お前たちは人間のくずだ
獣にも劣るような情けない人間だが
皆 ここに来るがよい」

(日本語字幕:富田耕平)



詩人・中原中也の芸術論 [さまざまな芸術論]

「これが手だ」と、「手」といふ名辞を口にする前に感じてゐる手、その手が感じられてゐればよい。
中原中也「芸術論覚え書」

柳の歌/哀切感増すウィロー♪ウィロー♪ [魅惑する歌声]

1995年に製作された
アメリカ映画オセロ」(オリヴァー・パーカー監督)の中で、
デスデモーナが歌う「柳の歌」は、
原作オペラであるヴェルディのアリアを、
英語で映画流に作り変えています。

このオペラの原作である
シェイクスピアの戯曲は
「柳の歌」をどのように扱っているのでしょうか。

英語だと
ウィロー♪ ウィロー♪……という語感が
女性の悲しみと響きあい
哀切感が極まるようですね。

映画では、
デスデモーナにより
次のように
歌われていました。


哀れな娘は 
ため息ついて
カエデの木陰に一人
歌を口ずさむ

胸に手を当て
頭をひざに乗せ
悲しい柳の歌を

柳よ
あふれる熱い涙に
石さえ溶けていく

柳よ
柳の歌よ

日本語字幕:鎌田郁子)

詩人・中原中也の芸術論 [さまざまな芸術論]

芸術は、認識ではない。認識とは、元来、現識過剰に堪られなくなつて発生したとも考へられるもので、その認識を整理するのが、学問である。故に、芸術は、学問では猶更ない。

中原中也「芸術論覚書」より。

フジコ・ヘミングが語った [アート語録]

1999年に放送された、ピアニスト、フジコ・ヘミングの半生を辿った番組「フジコ~あるピアニストの軌跡」が、「ETV50 もう一度見たい教育テレビ」として再放送されました(10月27日)。

初回放送から10年を経過していますが、内容に古びるものはなく、2009年現在のフジコ・ヘミングが、ピアノ表現において新たな境地を開拓しているものであっても、心して耳を傾けざるを得ない言葉の数々は、鮮烈さを失っていません。

わたしが、世界で一番うまいなんて思っているんじゃなくて、わたしは自分のカンパネラが一番気に入っていて、他の人の弾き方は嫌いなのよ

華麗をもっとも技巧……、技巧を凝らして作った華麗――。

(フジコは、言葉を探している感じ)

そう、ひとつひとつに魂が入っていそうな、さあ。

ぶっこわれそうなカンパネラだっていいじゃない。わたしは、ぶっこわれそうで、繊細なピアニスト、芸術家のほうが好きだもの。

あんまり完全で、機械みたいなのは嫌い。

(「じゃあ、いまのがまさにフジコ・ヘミング?」とインタビュアーが念を押す感じで聞くが、フジコは先を続けて語る。)

それがいいわよ。少しは間違ってもかまやしない。

機械じゃあるまいしさ――。


*2009年10月27日、NHK教育テレビ、午後8時から放送。


音楽家・加藤和彦が残したことば<2> [記憶に残ることば]

先日(10月17日)自殺した音楽家・加藤和彦は、9月28日、夕刊フジ取材班のインタビューで、「イムジン河」への思いを、語った。
(同紙10月20日付け「ぴいぷる」加藤和彦追悼「音楽で語るだけ」より)

単純にいい曲だと思って。北朝鮮の歌とは知らなかった。

もとは友人の松山(猛)君が中学時代に朝鮮学校で聴いてきた歌で、日本語詞は彼に書いてもらった。舞台は朝鮮半島ですが、僕はそれだけがテーマじゃないと思っている。

『イムジン河』はどこにでも流れている。国と国、上司と部下、男と女。人と人の間にできる『溝』ととらえることができる

音楽家・加藤和彦が残したことば<1> [記憶に残ることば]

先日(10月17日)自殺した音楽家・加藤和彦は、9月28日、夕刊フジ取材班のイン
タビューで語った。
(同紙10月20日付け「ぴいぷる」加藤和彦追悼「音楽で語るだけ」より)


写真を撮る時、どうして話している“画”を撮りたがるのかな

音楽以外でアピールするのは違うと思うんです。やっぱり、音楽だけで主張するのがホン
トだろう、と

「ルートヴィヒ」の言葉<2> [心に響く映画のことば]

(グッデル神父に付き添われて雨の中を散歩するルートヴィヒ)

夜ほど魅惑的なものはない
夜や月をあがめるのは
母性的な信仰で
太陽や昼の崇拝は
男性的な神話らしい

夜のとばりは無限の神秘だ
私にとっては
英雄たちの気高い国
すなはち
理性の王国だ

気の毒だな
朝から晩まで私の観察とは
だが私はなぞだ
なぞであり続けたい
永遠に
他人にも
自分自身にも

(帰館の時刻を過ぎても帰らぬルートヴィヒとグッデン博士の捜索がはじまり、しばらく闇の中を松明たいまつの灯りが行き交うが、「王はグッデン博士を殺し自殺なさった」とデュルクハイム大佐の報告があって、映画は終了する。雨に打たれるルートヴィヒの顔がアップになり、エンディング・ロールがかぶさってゆく。)

(ルキノ・ヴィスコンティ監督「ルートヴィヒ」より)
日本語字幕:三井章子

「ルートヴィヒ」の言葉<1> [心に響く映画のことば]

(退位を迫られたルートヴィヒが、従僕ウェーバーに話しかける)

魂の不滅を信じるか 
ウェーバー

はい 
もちろん 信じます

私もだ
魂の不滅を信じる
神の裁きも

人は唯物論などに
決して満足すまい
獣になることは望まぬのだ

時計宝石箱から取り出す)
もう必要ない
取っておけ

水死は美しい死に方だ
肉体の損傷がない
だが高い所からの
身投げは……

(金貨を取り出し
これもやる
書いておこう
私の死後 お前が
この時計を王家の宝物庫に
返す時には
25,000グルテンをと

(ルキノ・ヴィスコンティ監督「ルートヴィヒ」より)
日本語字幕:三井章子


グレン・グールドは語った<2> [アート語録]

演奏旅行はどう?

インタビュアーは続けて問い、
27歳のグレン・グールド
続けて次のように答える。

ここに10日か2週間くらい
ゆっくりと滞在できるときは
地元の人たちとよく付き合う

彼らの仕事は――
どれも似たような
変わりばえのしないものだが
2週間先でも自分がどこにいて
何をしているかわかっている
とてもうらやましく思うよ

実際そんなときは――
次の週に演奏旅行に出るのが
いやでたまらなくなる

いよいよ出発する時は
子ども時代と同じ気分だ
連休の翌日に登校する
朝のような最悪の気持ち

罠にかかったような――
取り返しのつかない別の世界に
連行されるような感覚
うんざりするよ

(「グレン・グールド27歳の記憶」より)
日本語字幕・鈴木玲子


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