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加山雄三に贈ったさだまさしの歌詞 [魅惑する歌声]
「座・ロンリーハーツ親父バンド」という加山雄三が歌う曲がある。芸能生活50周年とかで、2010年現在、よく流れるようになった「幸せな曲」で、加山こと弾厚作・作曲、さだまさし・歌詞ということなのだが、その歌詞がすこぶる面白いところがあります。
全部載せたいけれど、著作権侵害になるので、一部だけ紹介すると
みんな歌おうもう一度
あの日のように声を合わせて
ときめく胸 恋の歌
忘れられないあの歌
とはじまり
誰でもいつか年をとる
当たり前じゃないかそんなこと
大切なのは胸の炎
燃やし続けていること
なんて、さりげなく、親父たちへの励ましを綴っていき
それぞれ色々ありまして (夢破れて)
切ないながら生き抜いて (負けない)
やっとこうして
歌おう さあ今こそ
人は一人じゃない筈さ
ギター抱えて集まれば
あの頃と少しも変わらない
我らロンリーハーツ親父バンド
温もりじゃ負けはしない
と音楽バンドの楽しさを歌うのですが
次に
一度も結婚しない奴 (一度目もだめ)
二度も別れた不届きな奴 (二度目も)
三度転んで起き上がり (三度目もほら)
また転ぶのも人生 (人生)
こうなります。
ここ、すごい歌詞だと思いませんか?
バツイチも
バツニも
バツサンも
バツヨンも
OK!OK!って
結婚に失敗した者への励ましのフレーズです
5度目にようやくほんとの愛をつかんだなんて
そんなにある話ではありませんが
3度4度の失敗でしょげなさんな、っていう度量というか、やさしさっていうか
おやっと思いながら
そうだそうだって
妙に感心しちゃうのです
歌おうロンリーハーツ親父バンド (親父バンド)
若造時代に気づかない (気づかない)
本当の優しさや
愛や命の重さを
で、この歌は終わりますが
またはじめに返って
永遠のリフレーンにしてもおかしくはありません
全部載せたいけれど、著作権侵害になるので、一部だけ紹介すると
みんな歌おうもう一度
あの日のように声を合わせて
ときめく胸 恋の歌
忘れられないあの歌
とはじまり
誰でもいつか年をとる
当たり前じゃないかそんなこと
大切なのは胸の炎
燃やし続けていること
なんて、さりげなく、親父たちへの励ましを綴っていき
それぞれ色々ありまして (夢破れて)
切ないながら生き抜いて (負けない)
やっとこうして
歌おう さあ今こそ
人は一人じゃない筈さ
ギター抱えて集まれば
あの頃と少しも変わらない
我らロンリーハーツ親父バンド
温もりじゃ負けはしない
と音楽バンドの楽しさを歌うのですが
次に
一度も結婚しない奴 (一度目もだめ)
二度も別れた不届きな奴 (二度目も)
三度転んで起き上がり (三度目もほら)
また転ぶのも人生 (人生)
こうなります。
ここ、すごい歌詞だと思いませんか?
バツイチも
バツニも
バツサンも
バツヨンも
OK!OK!って
結婚に失敗した者への励ましのフレーズです
5度目にようやくほんとの愛をつかんだなんて
そんなにある話ではありませんが
3度4度の失敗でしょげなさんな、っていう度量というか、やさしさっていうか
おやっと思いながら
そうだそうだって
妙に感心しちゃうのです
歌おうロンリーハーツ親父バンド (親父バンド)
若造時代に気づかない (気づかない)
本当の優しさや
愛や命の重さを
で、この歌は終わりますが
またはじめに返って
永遠のリフレーンにしてもおかしくはありません
詩人・茨木のり子のお別れの言葉 [記憶に残ることば]
このたび私○○○○年○月○日 ○○にてこの世におさらばすることになりました。……「あの人も逝ったか」と一瞬、たったの一瞬思い出して下さればそれで十分でございます。あなたさまから頂いたあたたかなおつきあいは、見えざる宝石のように、私の胸にしまわれ、光芒を放ち、私の人生をどれほど豊かにして下さいましたことか……
朝日新聞2010年8月20日付け夕刊文化面「生死のあわいへ視線貫く 茨木のり子 初の回顧展」と題する記事に紹介されています。2006年に亡くなった詩人の遺言の一部です。
朝日新聞2010年8月20日付け夕刊文化面「生死のあわいへ視線貫く 茨木のり子 初の回顧展」と題する記事に紹介されています。2006年に亡くなった詩人の遺言の一部です。
パク・ヨンハが中森明夫に語ったこと [記憶に残ることば]
中森先生がお話する「死」とか「危険」とか、たまに考えることがあるんです。人や物は永遠ではない。だから悲しいんだと思う。ただ、そう思ってしまったら、そこで止まってしまう。生きてはいけません。たとえ悲しいと思っても、一瞬、思うだけにするんです。
週刊朝日2010年7月23日特大号「アタシ・ジャーナル」<184>
週刊朝日2010年7月23日特大号「アタシ・ジャーナル」<184>
つかこうへいの遺言 [記憶に残ることば]
映画「罪と罰」冒頭でマルメラドフが語る [心に響く映画のことば]
映画「罪と罰」(1970年、ソビエト連邦)の冒頭、9等文官のマルメラードフがラスコリニコフに話しかけるペテルスブルグの酒場のシーンで。
私を哀れむかね
言ってくれ
哀れむかね
なぜ哀れむ?
そう 哀れむことはない
その価値もないんだ
私なんかはりつけにしろ
(ここまでは、酒場の主人に話しかけているマルメラドフだが、ラスコリニコフはじめ、居合わせた客のみんなに聞かせるように語りはじめる)
私がウォッカに何を求めていると思う?
悲しみだ
瓶の底に悲しみを求め
それを味わっている
だが神様は哀れんでくださる
こうおっしゃる
「性悪な肺病やみのまま母や
腹違いの子のために
自分の体を売りながら
飲んだくれの父親をも哀れに思う娘はどこだ。」
そして言う。
「おいで。
前にも一度罪を許した。今度も許される。
神は万人を許す。善人も悪人も 誰もかれもだ。
飲んだくれも おいで
いくじなしも おいで
皆 おいで
お前たちは人間のくずだ
獣にも劣るような情けない人間だが
皆 ここに来るがよい」
(日本語字幕:富田耕平)
私を哀れむかね
言ってくれ
哀れむかね
なぜ哀れむ?
そう 哀れむことはない
その価値もないんだ
私なんかはりつけにしろ
(ここまでは、酒場の主人に話しかけているマルメラドフだが、ラスコリニコフはじめ、居合わせた客のみんなに聞かせるように語りはじめる)
私がウォッカに何を求めていると思う?
悲しみだ
瓶の底に悲しみを求め
それを味わっている
だが神様は哀れんでくださる
こうおっしゃる
「性悪な肺病やみのまま母や
腹違いの子のために
自分の体を売りながら
飲んだくれの父親をも哀れに思う娘はどこだ。」
そして言う。
「おいで。
前にも一度罪を許した。今度も許される。
神は万人を許す。善人も悪人も 誰もかれもだ。
飲んだくれも おいで
いくじなしも おいで
皆 おいで
お前たちは人間のくずだ
獣にも劣るような情けない人間だが
皆 ここに来るがよい」
(日本語字幕:富田耕平)
柳の歌/哀切感増すウィロー♪ウィロー♪ [魅惑する歌声]
1995年に製作された
アメリカ映画「オセロ」(オリヴァー・パーカー監督)の中で、
デスデモーナが歌う「柳の歌」は、
原作オペラであるヴェルディのアリアを、
英語で映画流に作り変えています。
このオペラの原作である
シェイクスピアの戯曲は
「柳の歌」をどのように扱っているのでしょうか。
英語だと
ウィロー♪ ウィロー♪……という語感が
女性の悲しみと響きあい
哀切感が極まるようですね。
映画では、
デスデモーナにより
次のように
歌われていました。
♪
哀れな娘は
ため息ついて
カエデの木陰に一人
歌を口ずさむ
胸に手を当て
頭をひざに乗せ
悲しい柳の歌を
柳よ
あふれる熱い涙に
石さえ溶けていく
柳よ
柳の歌よ
(日本語字幕:鎌田郁子)
アメリカ映画「オセロ」(オリヴァー・パーカー監督)の中で、
デスデモーナが歌う「柳の歌」は、
原作オペラであるヴェルディのアリアを、
英語で映画流に作り変えています。
このオペラの原作である
シェイクスピアの戯曲は
「柳の歌」をどのように扱っているのでしょうか。
英語だと
ウィロー♪ ウィロー♪……という語感が
女性の悲しみと響きあい
哀切感が極まるようですね。
映画では、
デスデモーナにより
次のように
歌われていました。
♪
哀れな娘は
ため息ついて
カエデの木陰に一人
歌を口ずさむ
胸に手を当て
頭をひざに乗せ
悲しい柳の歌を
柳よ
あふれる熱い涙に
石さえ溶けていく
柳よ
柳の歌よ
(日本語字幕:鎌田郁子)
フジコ・ヘミングが語った [アート語録]
1999年に放送された、ピアニスト、フジコ・ヘミングの半生を辿った番組「フジコ~あるピアニストの軌跡」が、「ETV50 もう一度見たい教育テレビ」として再放送されました(10月27日)。
初回放送から10年を経過していますが、内容に古びるものはなく、2009年現在のフジコ・ヘミングが、ピアノ表現において新たな境地を開拓しているものであっても、心して耳を傾けざるを得ない言葉の数々は、鮮烈さを失っていません。
わたしが、世界で一番うまいなんて思っているんじゃなくて、わたしは自分のカンパネラが一番気に入っていて、他の人の弾き方は嫌いなのよ
華麗をもっとも技巧……、技巧を凝らして作った華麗――。
(フジコは、言葉を探している感じ)
そう、ひとつひとつに魂が入っていそうな、さあ。
ぶっこわれそうなカンパネラだっていいじゃない。わたしは、ぶっこわれそうで、繊細なピアニスト、芸術家のほうが好きだもの。
あんまり完全で、機械みたいなのは嫌い。
(「じゃあ、いまのがまさにフジコ・ヘミング?」とインタビュアーが念を押す感じで聞くが、フジコは先を続けて語る。)
それがいいわよ。少しは間違ってもかまやしない。
機械じゃあるまいしさ――。
*2009年10月27日、NHK教育テレビ、午後8時から放送。
初回放送から10年を経過していますが、内容に古びるものはなく、2009年現在のフジコ・ヘミングが、ピアノ表現において新たな境地を開拓しているものであっても、心して耳を傾けざるを得ない言葉の数々は、鮮烈さを失っていません。
わたしが、世界で一番うまいなんて思っているんじゃなくて、わたしは自分のカンパネラが一番気に入っていて、他の人の弾き方は嫌いなのよ
華麗をもっとも技巧……、技巧を凝らして作った華麗――。
(フジコは、言葉を探している感じ)
そう、ひとつひとつに魂が入っていそうな、さあ。
ぶっこわれそうなカンパネラだっていいじゃない。わたしは、ぶっこわれそうで、繊細なピアニスト、芸術家のほうが好きだもの。
あんまり完全で、機械みたいなのは嫌い。
(「じゃあ、いまのがまさにフジコ・ヘミング?」とインタビュアーが念を押す感じで聞くが、フジコは先を続けて語る。)
それがいいわよ。少しは間違ってもかまやしない。
機械じゃあるまいしさ――。
*2009年10月27日、NHK教育テレビ、午後8時から放送。
音楽家・加藤和彦が残したことば<2> [記憶に残ることば]
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